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イザベラ・バード(Isabella Bird)特設ページ


女性旅行家―イザベラ・バードはどんな人?


Isabella Bird肖像

 
1831年イギリス・ヨークシャー生まれ。19世紀のアメリカ、カナダを初め、まだ独立国であったハワイを皮切りに、クルディスタン、ペルシア、朝鮮半島、そして日本、清朝の中国など、世界各地を歩いた女性旅行家。出版した旅行記の殆はベストセラーとなりました。
1880年に刊行された日本の旅行記 ”Unbeaten Tracks in Japan” は1960年代に「日本奥地紀行」というタイトルで和訳されました。この本は明治時代初期、まだ戊辰戦争から十年しかたっていない会津地方の様子や、東北の人々の生き様を知る貴重な文献です。
彼女は1878年(明治11年)6月から9月にかけて東北地方と北海道を旅行し、優れた観察眼を生かし、詳細な記録を残しました。以下にその一端をご紹介させていただきます。往時の東北に思いを馳せながら、一緒にヘブン・ウィークを走りませんか。
 

ヘブン・ウィークでなぞる、イザベラ・バードの東北ルート

 
現在の国道や県道などの多くは江戸時代の街道と同じルートを辿っていると言われています。明治政府の交通政策は江戸時代の街道をそのまま引き継ぎ、昭和、平成と時代が進んでも、基本的に道路の位置は変わりません。したがって、奥羽街道を中心に。東北におけるイザベラ・バードの足跡を辿ろうとすると、国道13号線、国道7号線など、交通量が多い、現在の幹線道路を走ることになります。
 
ヘブンのコースを考えるに際し、正確にコースをなぞる事よりも、興味深い描写のあった場所を選択的に訪れることにしました。そのため、たとえばイザベラ・バードが船で新潟まで下った阿賀野川や、今やトンネルが多い小国街道はコースから外し会津地方からは大峠を越えて米沢盆地へ入ります。
 
以下はイザベラ・バードが明治にたどったルートの全体地図です。このルートラボのデータはAJ西東京の永利さんから拝借しました。


イザベラ・バードが書いている明治期の東北の様子を以下に紹介しましょう。ヘブン・ウィークのルートの内、300kmと400kmの通過地、もしくは通過はしないが、付近にある集落などについての記録をご紹介させていただきます。300kmのスタート地点は交通の便が良い新幹線の停車駅、新白河にしましたので、イザベラ・バードが東京から会津をめざして遡った鬼怒川沿いの国道121号線は走らず、会津田島でようやくイザベラ・バードがたどったルートと合流します。

BRM429 300km


会津区間:
300kmのコースで通過する地域については、イザベラ・バードは次のように伝えています。なお、以下の日本文の引用は「完訳日本奥地紀行」1、2 金坂来清則訳注、東洋文庫 平凡社刊から引用しています。英文の出典は  Isabella Bird,  Unbeaten Tracks in Japan, Japan & Stuff Press, 2006 reprint   ISBN: 4-9902848-0-1です。
 
戊辰戦争終結後、まだ十年しか経っていない東北を巡ったイザベラ・バードは、官軍に敗北した会津の荒廃ぶりを伝えています。一方、桃源郷のように美しく、繁栄している米沢盆地、山形盆地を絶賛しています。明治期に命運を分けた両地域の様子が対照的に描かれています。

1)田島―大内宿―高田―坂下田島:
 
私達は田島で馬を替えた。日本の町としてはかなり趣がある。下駄や焼き物、漆器・かごを製造し移出しているが、焼き物、漆器・かごはいずれも洗練されているものではなかった。様々な大きさの田が続くなかを進んだ私たちは、荒海川 (現在の大川) という大きな川があるところにやってきた。田の畔には大豆がずっと植えられていた。ここに出るまで私達は二日間に渡ってその支流に沿ってとぼとぼと進んできたのである。汚い身なりをして仕事にいそしむ人々であふれる、これまた汚い村々を通り抜けたのち、この川を平底船で渡った。この川の両岸には高い杭がしっかりと打ち込まれ、数本の藤の蔓を編んで作った太い綱が結わえてあった。一人の男が両手でこの綱をたぐり、もう一人が船尾で竿を操り、あとは早い流れに委ねるのである。この後にも私たちはこのようにしていくつもの川を渡った。どの渡し場にも、有料の橋と同じように料金を書いた立札があり、一人の男が小屋に座って、金を受け取るようになっていた。
 
We changed horses at Tajima, formerly a daimyo’s residence, and, for a Japanese town, rather picturesque. It makes and exports clogs, course pottery, course lacquer, and course baskets.
After travelling through rice fields, varying from thirty yards to a quarter of an acre, with the tops of the dykes utilized by planting dwarf beans along them, we came to a large river, the Arakai, along whose affluent we have been tramping for two days, and after passing through several filthy villages, thronged with filthy and industrious inhabitants, crossed it in a scow. High forks planted securely in the bank on either side sustained a rope formed of several strands of the wisteria knotted together. One man hauled on this hand over hand, another poled at the stern, and the rapid current did the rest. In this fashion we have crossed many rivers subsequently. Tariffs of charges are posted at all ferries, as well as at all bridges where charges are made, and a man sits in an office to receive the money.
 
大内宿(オオウチジュク)について:
 
この地方は実に実に美しかった。これまでは連日、頂まで森に覆われた尖った山々が連なる中をたどり、山王峠のいただきからは夕焼けで黄金色に霞み、この世とも思えないほど美しい山群を眺めたのとは異なり、もっとひろびろとしたもっとも素敵な景色だった。私は大内という村にある養蚕場・郵便局・内陸通運会社継立所を兼ねる家で泊まった。大名が泊まったところでもあった。(本陣)この村は周りを山で美しく囲まれた谷間にあった。翌日は早朝に出発をし、噴火口のような凹地にある大宅沼という小さな美しい湖の畔を通ったのち、市川峠(市野峠)に至る長々と続く大変な坂道を登った。私達は本街道と呼ばれている道をそれ、まったくひどい山道に入った。
注;内陸通運会社は現在の日本通運株式会社。
 
The country was really very beautiful. The views were wider and finer than on the previous days, taking in great sweeps of peaked mountains, wooded to their summits, and from the top of the Pass of Sanno, the clustered peaks were glorified into unearthly beauty in a golden mist of evening sunshine. I slept at a house combining silk, farm, post office, express office, and daimyo’s rooms, at the hamlet of Ouchi, prettily situated in a valley with mountainous surroundings, and leaving early on the following morning, had a very grand ride, passing in a crater form cavity the pretty little lake of Oyake, and then ascending the magnificent pass of Ichikawa. (Ichino). We turned off what, by ironical courtesy, is called the main road, upon a villainous track……
 
大内宿
〔大内宿〕

大内宿でイザベラ・バードが泊まった部屋
大内宿でイザベラ・バードが泊まった部屋

市野峠の道その1

市野峠の道その2
〔市野峠の道〕


市野(イチノ)峠からの景色:
 
市川峠(市野峠)の頂はほとんどの峠と同様、狭い尾根になっており、これを越えると一挙に急な下りとなり、ものすごい峡谷に入った。私たちはここを一マイル(1.6km)ほど下って行ったが、道の傍らを流れる川 (藤川川)が雷のように音を轟かせ、何を話してもその声をかき消す。眼下には木立の多い平野が藍色の陰に包まれてうねるように広がるのが見え、その先には高い峰々には雪が白くかぶっていた。まことにすばらしい眺めであった。この下り道の終わりの方で私を乗せた雌馬は反抗し、手に負えない早駆けで市川の集落に突入した。ここは美しい場所にある崖っぷちの村で、背後の崖から形のよい滝が落下し、その飛沫のために集落全体が湿り気を帯びていた。そして木々にも道端にも緑藻が生え一面の緑だった。
ここの内国通運会社継立(ツギタテ)所は女性がやっていた。女たちは宿屋や店屋を営み、耕作も男たちに伍してして行っていた。どの村にも男女別住民数や牛馬の頭数が掲示されており、それでこれまでのところがすべてそうだったように、男の数の方がずっと多かった。

市野村
〔市野村〕
 
The top of the pass, like that of a great many others, is a narrow ridge on the farther side of which the track dips abruptly into a tremendous ravine, along whose side we descended for a mile or so in the company with a river whose reverberating thunder drowned all attempts at speech. A glorious view it was, looking down between the wooded precipices to a rolling wooded plain, lying in depths of indigo shadow, bounded by ranges of wooded mountains, and overtopped by heights heavily splotched with snow.
 
Near the end of this descent my mare took the bit between her teeth and carried me at an ungainly gallop into the beautifully situated, precipitous village of Ichikawa, which is absolutely saturated with moisture by the spray of a fine waterfall which tumbles through the middle of it, and its trees and roadside are green with the Protococcus viridis.  The transport agent there was a woman. Women keep yadoyas and shops, and cultivate farms as freely as men. Boards giving the number of inhabitants, male and female, and the number of horses and bullocks, are put up in each village, and I noticed in Ichikawa, as everywhere hitherto, that men preponderate.

会津盆地と磐梯山

〔会津盆地と磐梯山〕

高田:
道が杉並木になり、部分的に金箔を施した二つの立派な寺院が現れたので、かなり重要な町に近つきつつあることがわかった。高田(現美郷(ミサト)町)は事実そのような町だった。 生糸・縄・や人参の取引がかなり盛んな大きな町で、県(福島県)の高官の一人の地元である。通りは一マイル(1.6km)あり、全ての家は店屋だった。だが全般にうらぶれ、わびしい感じだった。よそ者が殆ど訪れない地方では、町はずれまで来ると最初に出会った人がくるりと踵を返し、「外国人!」という意味の日本語 「異人」を叫びながら通りを駆け戻って行くのだ。目が見える者も見えない者も、老いも若きも、着物を着た者も裸の者も、すべてがすぐに集まって来たし、宿屋に着いたら着いたで、ものすごい数の群集が集まってきた。そのため宿の主人は中庭にあるきれいな部屋「離れ座敷」に案内してくれた。ところが大人たちは屋根に上り、子供たちは庭の端の柵に上がって庭を見下した。するとその重みで柵が壊れてしまったために、すべての者がどっと押し寄せてきた。それで、私はやむなく障子を閉めたが押しかけて来た野次馬が外にいると思うと、休息している間もずっと心は休まらず疲れを覚えた。
 
注:うらさびれていたのは、九年前の戊辰戦争でここが戦場になり、町全体が焼失したため、戦災からの回復が十分でなかったことを窺わせます。
 
An avenue of cryptomeria and two handsome and somewhat gilded Buddhist temples denoted the approach to a place of some importance, and such Takata is, as being a large town with a considerable trade in silk, rope, and ninjin, and the residence of one of the higher officials of the ken or prefecture. The street is a mile long, and every house is a shop. The general aspect is mean and forlorn. In these little-travelled districts, as soon as one reaches the margin of a town, the first man one meets turns and flies down the street, calling out the Japanese equivalent of “Here’s a foreigner!” and soon blind and seeing, old and young, clothed and naked, gather together. At the yadoya the crowd assembled in such force that the house-master removed me to some pretty rooms in a garden; but then the adults climbed on the house-roofs which overlooked it, and the children on a palisade at the end, which broke down under their weight, and admitted the whole inundation; so that I had to close the shoji, with the fatiguing consciousness during the whole time of nominal rest of a multitude surging outside.
 
坂下(バンゲ):
 
坂下ではマラリアが流行っていた。あまりにもマラリア熱が多発するので、県が追加の医療援助を送ってきていたほどだった。しかも前方の山地までは一里「四キロ」しかなかったので、このまま進むのがよいと思われた。しかし、夜10時までは一頭の馬さえ手に入らないということだったし、道は道で、これまで通ってきたどの道にもましてひどかった。また痛みもつかれもいっそうひどくなってきた。そのため、ここ「坂下」に留まるほかなかった。うんざりする一時間だったが、この間に内陸通運会社継立所の五人の使いが宿を探してくれていた。その結果、暗くなってからすっかり時間がたってはいたが、宿が見つかった。古くてだだっ広い超満員の宿屋だった。私の泊まった部屋の大部分が池の淀んだ水面の上に高床式になって建っていた。そのため、おびただしい蚊がおり、空が黒くなるほどだった。熱病「マラリア熱」に罹りそうな惨めな一夜を過ごした後、朝早く起き出発できることになってほっとした。
 
Bange was malarious; there was so much malarious fever that the Government had sent additional medical assistance; the hills were only a ri off, and it seemed essential to go on. But not a horse could be got till 10pm; the road was worse than the one I had travelled; the pain became more acute, and I more exhausted, and I was obliged to remain.  Then following a weary hour, in which the Express Agent’s five emissaries were searching for a room, and considerably after dark I found myself in a rambling old over-crowded yadoya, where my room was mainly built on piles above stagnant water, and the mosquitoes were in such swarms as to make the air dense, and after a feverish and miserable night, I was glad to get up early and depart.

2)米沢盆地―赤湯温泉―金山

米沢盆地について:

とても暑いものの良く晴れた夏の日だった。雪を被る会津の峰々も、太陽の光にきらきら輝いているので、涼しげな感じは殆どしなかった。南には繁栄する米沢の町があり、北には来訪者の多い温泉場である赤湯を擁する米沢平野「盆地」は、まさしくエデンの園である。鍬で耕したというより鉛筆で描いたように美しい。米、綿、とうもろこし、煙草、麻、藍、大豆、茄子、くるみ、水瓜、キュウリ、柿、杏、ざくろを豊富に栽培している。晴れやかにして豊穣な大地であり、アジアのアルカディア(桃源郷)である・・・・そしてその豊かな土地すべてが耕作する人々の所有に帰している・・・・人々は抑圧とも無縁である。アジア的圧制の下では珍しい美観である。

It was a lovely summer day, though very hot, and the snowy peaks of Aizu scarcely looked cool as they glittered in the sunlight.
The plain of Yonezawa, with the prosperous town of Yonezawa in the south , and the frequented watering-place of Akayu in the north, is a perfect garden of Eden, “ tilled with a pencil instead of a plough,” growing in rich profusion rice , cotton, maize, tobacco, hemp, indigo, beans, egg-plants, walnuts, melons, cucumbers, persimmons, apricots, pomegranates; a smiling and plenteous land, an Asiatic Arcadia, prosperous and independent, all its bounteous acres belonging to those who cultivate them, who live under their vines, figs, and pomegranates, free from oppression- a remarkable spectacle under Asiatic despotism.

赤湯:
赤湯は硫黄泉の温泉町である。できればここで泊まりたかった。ここはこれまでに経験したうちでもっとも騒々しいところの一つだった。四つの道が交わる場所がもっとも人が多く、ここの複数の浴場[外湯]があり、いずれも混浴の人であふれ、大声が響き渡っていた。そして入った宿屋はこのすぐそばに位置し、40室ほどもあった。ところがリューマチを患う客が畳の上で横になった部屋や、三味線がかきならされたり、琴がキーキーと爪弾かれる部屋でほとんど塞がっており、その騒音にはとても我慢できなかった。そのため私は水田だらけで面白みに欠ける谷底平野と低い山並みをぬって続く立派な新しい道を十マイル(16km)進み、ここ[上山(カミノヤマ)]にやってきた。この山並みを抜けるとその先に、もっと高くて砂利が目立つ山で囲まれた小さな平野[盆地]が現れた。そして、そのような山の斜面という素晴らしい所に、人口三千人以上を有する温泉場上山があった。
 
At Akayu, a town of hot Sulphur springs, I hoped to sleep, but it was one of the noisiest places I have seen.  In the most crowded part, where four streets meet, there are bathing sheds, which were full of people of both sexes, splashing loudly, and the yadoya close to it had about forty rooms, in nearly all of which serval rheumatic people were lying on the mats, samisens were twanging , and kotos screeching, and the hubbub was so unbearable that I came on here, ten miles farther, by a fine new road, up an uninteresting stretch of rice-fields, and low lying hills, which opens up out upon a small plain surrounded by elevated gravelly hills, on the slope of one of which Kaminoyama, a watering-place of over 3000 people, is pleasantly situated.
 
新庄:
その素晴らしい道をさらに三日に渡って旅し、60マイル(97km)近くを進んだ。山形県は非常に繁栄し、進歩的であり、前途有望という印象を受ける。上山を出てすぐに入った山形平野[盆地]は人口が多く、耕作が行き届き、幅の広い道の交通量は大変多く、豊かで文明開化しているように見えた。道路は、漢字を染め抜いた鈍い赤色の着物を着た囚人を使って改良が進められているが、彼らはわが国の仮出獄者に当たる。土建屋や農民に雇われ賃金を得るために働いており、囚人服をいつも着ていなければならないこと以外には何の制限も受けていない。
 
Three days of travelling on the same excellent road have brought me nearly 60 miles. Yamagata ken impresses me as being singularly prosperous, progressive, and go-ahead; the plain of Yamagata , which I entered soon after leaving Kaminoyama, is populous and highly cultivated, and the broad road, with its enormous traffic, looks wealthy and civilized. It is being improved by convicts in dull red kimonos printed with Chinese characters, who correspond with our ticket-of-leave men, as they are working for wages in the employment of contractors and farmers, and are under no other restriction than that of always wearing the prison dress.


楯岡[現村山市]からの翌日(7月16日)の旅ではこれまでと同じ立派な道[奥州街道]をそのまま進んだ。途中、連続的に続く農村や、人口がそれぞれ千五百人、二千人を数える土生田[トチウダ]や尾花沢その他の町も良く見かけた。この二つの町からは、鳥海山の素晴らしい姿が眺められた。丸い頂きには雪がかぶっていた。標高八千フィート(2400m)あるとされるが、かなり平坦な地方からは予測のつかない形で聳えているのと、同時に湯殿山の広々とした雪原も見え、しかもその下には本当に絵を見るように美しい山並みが横たわっているので、これほど壮大な眺めは日本にないのではないかと思っているほどだ。
尾花沢を過ぎると、最上川の支流の一つによって灌漑されている河谷を通り、それにかかる美しい木橋を渡った後、峠道を上がっていった。峠 [猿羽峠]からの眺めは絶景だ・・・・長い下り坂は立派な並木道をなして新庄に至った。水田の広がる平野に位置するこの町は、人口は五千人以上を数えるがうら寂れた町だった。
 
The next day’s journey was still along the same fine road, through a succession of farming villages and towns of 1500 and 2000 people, such as Tochiida and Obanasawa, were frequent. From both these there was a glorious view of Chokaizan, a grand, snow-covered dome, said to be 8000 feet high, which rises in an altogether unexpected manner from comparatively level country, and, as the great snow-fields of Udonosan are in sight at the same time, with most picturesque curtain ranges below, it may be considered one of the grandest views of Japan. After leaving Obanasawa the road passes along a valley watered by one of the effluents of the Mogami, and, after crossing it by a fine wooden bridge, ascends a pass from which the view is most magnificent. After a long ascent through a region of light, peaty soil, wooded with pine, cryptomeria , and scrub oak, a long descent and a fine avenue terminate in Shinjo, a wretched town of over 5000 people , situated in a plain of rice-fields.

金山にあるイザベラ・バード記念碑

〔金山にあるイザベラ・バード記念碑〕

金山(カネヤマ):(7月17日)
 
今日は気温が高く、空はどんよりと暗かった。立派な道は終わってしまい、以前の大変な旅がまた始まった。今朝新庄を出発した私達は、勾配のきつい台地を越え、とても美しい、風変りな盆地「金山盆地」にはいった。いくつもの円錐形の小山が半円を描くように取り囲んでいる上に、その頂をこれまた円錐形の杉の木が覆い、しかも、一見したところは北方への行く手を完全に遮っているように見えるのでいっそう目立った。そのような低い山並みの麓に金山の集落は夢に誘われるような感じで広がっていた。ここについたのはまだ早く真昼だったが、ここで一日、二日、滞在することにした。内国通運会社継立所にある私の部屋が気持ちよく快適な上に、責任者がとても礼儀正しく、しかも、これから先には非常に大変な地域が横たわっているし、伊藤が一羽の鶏を手に入れてくれたからである。日光を出て以来,初めてのことだった。
 
Today the temperature is high and the sky murky. The good road has come to an end, and the old hardships have begun again. After leaving Shinjo this morning we crossed over a steep ridge into a singular basin of great beauty, with a semi-circle of pyramidal hills, rendered more striking by being covered to their summits with pyramidal cryptomeria, and apparently blocking all northward progress. At their feet lies Kaneyama in a romantic situation , and though I arrived as early as noon, I am staying for a day or two, for my room at the Transport Office is cheerful and pleasant, the agent is most polite, a very rough region lies before me, and Ito has secured a chicken for the first time since leaving Nikko!


BRM501 400km


湯沢―矢立(ヤダテ)峠―黒石温泉

湯沢:7月19日
翌朝立派な杉並木のぬかるみの道を九マイル[14.4km]進んだのち湯沢についたが、気が付けば、残念ながらここに着くまでの間に電信柱が無くなってしまっていた。ここは人口が七千人の町であり・・・数時間前に火事があり、七十件の家が焼失し、私が泊まることになっていた宿屋もその一軒だったことが分かった・・・家が建っていた場所では家は跡形もなく細かな黒い灰だけが残っていたが、その中にあって、蔵は焦げて黒くなりながらも、焼失せずに残っていた。
湯沢はことのほかいやな感じがするところである。[内陸通運会社継立所の]中庭で、大豆から作った味のない白い塊「豆腐」に練乳をかけただけの貧しい昼食をとっていたら、何百人もの群衆が門のところに集まってきた。
そこへ四人の巡査が現れ、旅行免状の提出 を求めた・・・・何のために旅をしておられるのかと尋ね、「この国について勉強しております」という私の答えを聞くや、「地図を作っておいでか」と尋ね、自分たちの好奇心を満足させると帰って行った・・・・すると、先ほどよりも大勢の群衆が再び集まってきた。内国通運会社継立所の社員が、出て行ってくだされと頼むと、こんな見ものは二度と見られませんだ!と口々に叫んだ。一人の年老いた農夫は、この「見もの」が男か女のどちらなのか教えてくれれば出て行ますだ、と言った。
 
横手までの十マイル[16km]にわたって、道は火事場を見に行く人々でいっぱいだった。道は立派で、路傍には祠が無数にあり、観音が祀られ、とても気持ちのよい田舎だった。ところが私の馬はどうしようもなく癖の悪い馬で、狂暴だった・・・・人を見れば必ず耳を後ろに倒し、男であれ、女であれ子供であれおかまいなしに向かって行きかみつこうとする。
人口一万の町横手は、木綿の取引は盛んだが、見栄えが悪く嫌な臭いがし、みじめで汚くじめじめとし陰気である。最上の宿屋でさえひどいものである。そして私が例の質の悪い馬に乗って通り過ぎると、住民は私を見ようと風呂から飛び出てきた。男も女も素っ裸だった。
 
The next morning, after riding nine miles through quagmire, under grand avenues of cryptomeria, and noticing with regret that the telegraph poles ceased, we reached Yusawa, a town of 7000 people….and found that a fire a few hours previously had destroyed seventy houses, including the yadoya at which I should have lodged.  We had to wait two hours for horses, as all were engaged in moving property and people. The ground where the houses had stood was absolutely bare of everything but fine black ash, among which the kuras stood blacked, and in some instances , slightly cracked, but in all unharmed. 

Yusawa is a specially objectionable-looking place.  I took my lunch - a wretched meal of tasteless white curd made from beans, with some condensed milk added to it in a yard, and the people crowded in hundreds to the gate…..Four policemen then appeared and demanded my passport….they asked me what I was travelling for, and on being told “to learn about the country” they asked if I was making a map….The Transport Agent begged them (the crowd) to go away, but they said they might never see such a sight again! One old peasant said he would go away if he were told whether the “sight” were a man or woman…
The road (to Yokote) for ten miles was thronged with country people going in to see the fire.  It was a good road and very pleasant country, with numerous road-side shrines and figures of the goddess of mercy….I had a wicked horse, thoroughly vicious.
His head was doubly chained to the saddle-girth, but he never met man, woman, or child, without laying back his ears and running at them to bite them.
Yokote, a town of 10,000 people, in which the best yadoyas are all non-respectable, is an ill-favoured , ill-smelling, forlorn, dirty, damp, miserable place, with a large trade in cotton. As I rode through on my temporary biped the people rushed out from the baths to see me, men and women alike without a particle of clothing…
 
矢立峠:8月2日 

五マイル(8 km)進んだところで馬では通れなくなってしまったので、三人の馬子のうちの二人が荷物を担ぐことにして出発した。川を歩いて渡ったり、泥に膝までつかりながら山腹をよじ登るようにして進んでいった。谷間の全域にわたってひどい地滑りがおこったために山腹も道も元の姿を留めていなかった・・・・・高度が高くなり、杉が繁茂して暗くなった山が目の前に迫り始めたその時、私達は新しい立派な道に出た・・・道はすばらしい森の真只中に入った。そして勾配の緩やかな九十九折りの道をだらだらと上がっていくと、矢立に出た。その頂の砂岩の切通しには、秋田県と青森県の県境であることを示す文字が深く刻まれた縦長の石碑が立っていた。それにしてもこの道は、日本の道としては信じがたいほどすばらしい。勾配も実に適切で道行く人が休むための丸太の腰掛が都合の良い間隔で置かれている・・・・私は他の者を後に残し、一人で峠の頂きを越え、向こう側まで歩いて行った。そこは色鮮やかなピンクと緑の岩に発破をかけて切り開いた道になっていた。岩からは水がしたたり落ち、まことに素晴らしかった。 私には日本で見てきたどの峠にもましてこの峠が素晴らしいと思われた・・・・ロッキー山脈の峠のいくつかが彷彿されたが、木々のすばらしさにおいては、ここがはるかに勝っていた。

At the end of five miles it became impassable for horses, and, with two of the mago carrying the baggage, we set off, wading through water and climbing along the side of a hill, up to our knees in soft wet soil. The hillside and the road were both gone, and there were heavy landslips along the whole valley….
We emerged upon a fine new road, broad enough for a carriage, which, after crossing two ravines on fine bridges, plunges into the depths of a magnificent forest, and then by a long series of fine zigzags of easy gradients ascends the pass of Yadate, on the top of which, in a sandstone cutting, is a handsome obelisk marking the boundary between Akita and Aomori ken. This is a marvelous road for Japan, it is so well graded and built up, and logs for travelers’ rests are placed at convenient distances.
I left the others behind, and strolled on alone over the top of the pass and down the other side, where the road is brilliant under the trickle of water. I admire this pass more than anything I have seen in Japan; I even long to see it again, but under a bright blue sky. It reminds me much of the finest in the Rocky Mountains, but the trees are far finer than in either.
 
碇が関(イカリガセキ):
私は日本の子供が大好きだ。赤ん坊が泣くのを耳にしたことも、うるさい子供や聞き分けのない子供を目にしたこともない。孝行は日本における美徳の最たるものである。親への絶対的服従が何世紀にもわたる習慣になっている。英国人の母親がしている、子供をおだてたり怖がらせたりしてむりやりに服従させるということやしつけ方は見かけない。子供たちが遊びを通して自立するように教えられる、そのやり方には感心する・・・・
私はいつも駄菓子をもっていて子供にやるのだが、いただいてもいいよと父親や母親が言うまでは、けっして貰おうとしない。そして貰うとにっこり笑って、頭を深く下げてお辞儀をし、自分が食べる前に、その場にいる友達に分けてやる。実に礼儀正しい反面、堅苦しすぎるし、ませすぎてもいる。
 
I am very fond of Japanese children. I have never yet heard a baby cry, and I have never seen a child troublesome or disobedient. Filial piety is the leading virtue in Japan, and unquestioning obedience is the habit of centuries. The arts and threats by which English mothers cajole or frighten children unto unwilling obedience appear unknown. I admire the way in which children are taught to be independent in their amusements…I usually carry sweeties with me, and give them to the children, but not one has ever received them without first obtaining permission from the father or mother. When that is gained they smile and bow profoundly, and hand the sweeties to those present before eating any themselves. They are gentle creatures, but too formal and precocious.

黒石市のこみせ通りと津軽こけし

〔黒石市のこみせ通りと津軽こけし〕

黒石で七夕祭りを見る:8月5日
 
人口5,500人のこの町はこぎれいで、下駄と櫛の製造で知られている。ここでは大変こぎれいで風の良く通る二階の一部屋を確保できた。見晴らしも良く、あたり一帯を見渡せたし、隣家の人々が奥の部屋や裏庭で仕事をしているのも眺めることが出来た。そこで、青森に直行するのをやめて、二泊し三日を過ごすことにした。天気はすっかり回復したし、部屋も実に気持ちよかったので、ここでの骨休めはとても快適だった・・・

その晩太鼓の音が鳴りやまず、床につくとすぐに伊藤が、ぜひ見ておくとよいものがあります、と報らせてくれた。そこで私は笠はかぶらなかったが、着物は自分のものを着て出かけた。このように変装したので、外国人であることがばれずに済んだ。黒石は電燈が無く、私は急ぐあまり転んだりつまずいたりした。そこで行く手を片手で強く掻き分けながら、もう一方の手にとても美しい提灯を棒の先にかざして宿の主人が現れた。提灯の位置は地面すれすれであった。

まもなく私たちはこちらにむかって進んでくる祭りの行列の見える地点につたが、実に美しく、まるで絵のようだったので、私はそこに一時間もとどまっていた。この行列は八月の第一週に毎晩七時から十時まで町のすべての通りを、金箱のような大きな灯籠[ねぶた]をもって練り歩くのである。その箱の中にはたくさんの短冊が入っていて、それにはいろいろな願い事が書かれており、毎朝七時に川までもっていって流すという。

Kuroishi , a neat town of 5500 people, famous for the making of clogs and combs, where I  have obtained a very neat, airy, upstairs room, with a good view over the surrounding country and of the doings of my neighbors in their back rooms and gardens. Instead of getting on to Aomori, I am spending three days and two nights here, and as the weather has improved and my room is remarkably cheerful, the rest has been very pleasant. As I have said before, it is difficult to get any information about anything even a few miles off, and even at the Post Office they cannot give any intelligence as to the date of the sailings of the mail steamer between Aomori, twenty miles off, and Hakodate.
 
That evening the sound of drumming was ceaseless, and soon after I was in bed Ito announced that there was something really worth seeing, so I went out in
my kimono and without my hat, and in this disguise altogether escaped recognition as a foreigner.  Kuroishi is unlighted, and I was tumbling and stumbling along in over-haste when a strong arm cleared the way, and the house-master appeared with a very pretty lantern, hanging close to the ground from a cane held in the hand.
 
We soon reached a point for seeing the festival procession advance towards us, and it was so beautiful and picturesque that it kept me out for an hour. It passes through all the streets between 7 and 10 P.M. each night during the first week in August, with an ark, or coffer, containing slips of paper, on which wishes are written, and each morning at seven this is carried to the river and the slips are cast upon the stream.


黒石温泉郷のこと:
下中野(現温湯村)には歩いてしか行けなかったが、非常に熱い温泉があるので、たいへん興味を引かれるところである。リウマチと眼病によく効く温泉だという。集落は殆ど茶屋と宿屋からなっており、一番低くなったところに浴場[外湯]がある・・・真ん中の二つの建物では混浴になっていたが、湯槽のまわりを巡る木の縁に座っている人々は、男性と女性がその両端に別々に座っていた・・・・他と同じように慣習的な礼儀作法が行き渡っており、湯桶や手ぬぐいを手渡す時にはお互いに深々とお辞儀を交わすことに気づいた。日本の公衆浴場は世論が形成されるところだと言われている。 我が国[英国]で世論がクラブや酒場で形成されるのにあたる。
女性がいるために危険な状況や暴動を招かないで済むとも言われている。ところが日本政府は混浴の禁止に躍起になっている。このように僻遠の地までこの改革が到達するには時間がかかるだろうが、遅かれ早かれやってくるとは思われる。公衆浴場は日本の数ある特質の一つである。

Lower Nakano , which I could only reach on foot, is only interesting as possessing some very hot springs, which are valuable in cases of rheumatism and sore eyes.  It consists mainly of tea-houses and yadoyas, and seemed rather gay.  It is built round the edge of an oblong depression, at the bottom of which the bath-houses stand, of which there are four, only nominally separated, and with but two entrances, which open directly upon the bathers.  In the two end houses women and children were bathing in large tanks, and in the center ones women and men were bathing together, but at opposite sides, with wooden ledges to sit upon all round.  I followed the kuruma-runner blindly to the baths, and when once in I had to go out at the other side, being pressed upon by people from behind; but the bathers were too polite to take any notice of my most unwilling intrusion, and the kuruma-runner took me in without the slightest sense of impropriety in so doing.  I noticed that formal politeness prevailed in the bath-house as elsewhere, and that dippers and towels were handed from one to another with profound bows.  The public bath-house is said to be the place in which public opinion is formed, as it is with us in clubs and public-houses, and that the presence of women prevents any dangerous or seditious consequences; but the Government is doing its best to prevent promiscuous bathing; and though the reform may travel slowly into these remote regions, it will doubtless arrive sooner or later. The public bath-house is one of the features of Japan.


BRM503 200km


青森:

日光を出発して以来幾多の山脈を越えてきたが、その最後のものが浪岡からはじまった。その頂きは津軽坂といい、そこからは山並みが織り重なる地方とその先の鉛色の海が見えた。海を取り囲まんばかりの山々には松が生い茂り、深みのある紫がかった藍色をしていた。雲が流れていき、色彩が鮮やかさを増し、空気は清々しくひんやりとし、土壌も一面泥炭質で松特有の芳香も漂っているので、見た目にも、感じも、匂いもまるで母国のようだった。灰色の海は青森湾であり、その先には津軽海峡があった。長かった陸路の旅も終わりである。蝦夷行きの蒸気船は夜に出ますと一人の旅人が教えてくれたので、私は喜び勇んで四人の男を雇い入れた。彼らは人力車をひいたり、押したり、持ち上げたりしながら、私を青森へと連れて行ってくれた。この町は、家も、屋根も、屋根の上の石も、家が湾を囲むように立ち並ぶ海辺の砂もすべてが灰汁色であり、県都とはいえ、みすぼらしい感じのする町である。
青森からは蝦夷へ家畜と米が大量に移出される一方、函館から大量の魚と皮革・外国製品が移入されてくるが、ここは本州北部から毎年多くの人が蝦夷の漁業に移民として出ていく出口である。
 
At Namioka occurred the very last of the very numerous ridges we have crossed since leaving Nikko at a point called Tsugarusaka, and from it looked over a rugged country upon a dark-grey sea, nearly landlocked by pine-clothed hills, of a rich purple indigo color. The cloud were drifting, the color was intensifying, the air was fresh and cold, the surrounding soil was peaty, the odors of pines were balsamic, it looked, felt, and smelt like home; the grey sea was Aomori Bay, beyond was the Tsugaru Strait-my long land-journey was done.  A traveler said a steamer was sailing for Yezo at night, so, in a state of joyful excitement, I engaged four men, and by dragging, pushing, and lifting, they got me into Aomori, a town of grey houses, grey roofs, and grey stones on roofs, built on a beach of grey sand, round a grey bay-a miserable - looking place though the capital of the ken.(prefecture)
 
It has a great export trade in cattle and rice to Yezo, besides being the outlet of an immense annual emigration from northern Japan to the Yezo fishery, and imports from Hakodate large quantities of fish, skins, and foreign merchandise.


文: Ide Maya (AJ神奈川)

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